抱きしめて 抱きしめて 壊れたら拾い集めて

あらし、15周年おめでとう。



15周年のタイミングで、ハワイでコンサートができる。オリジナルアルバムでツアーができる。どれもうれしかったけれど、ぴかんちの続編をやるって聞いたときは涙が出るほどうれしかった。その知らせが飛び込んできたときは一瞬目をまんまるくして驚いたけれど、"彼らが15周年にぴかんちを選択した"ってことをすぐに理解できて、涙がこみあげてきたんだよ。嘘だ、とかそんなことあるわけない、なんて1ミリたりとも思わなかった。10年もの時間が経っていて、あのころとは何もかもが変わったんだから、信じられなくて当然なのに。あのころと同じようにぴかんちを選択するという彼らの変わらなさを、なんの疑いもなく信じられたんだよね。


「終わったはずの夢がまだ 僕らの背中に迫る」という言葉を合図に始まった映画。その映画のクライマックスで、物語のすべての始まりであるいのっち演じるカゴメさんが、大人になったハル、チュウ、シュン、タクマ、ボンの5人に言うセリフがある。それが、「おまえらが俺を連れ戻したんだ」*1という言葉で。まさに、そのとおりなんだよね。終わったはずの夢をもう一度動かしたのは、紛れもなくあらし自身だったんだよ。ふつうなのにふつうじゃない、そんなあらしみたいな5人の人生を。ふつうにしてるだけなのに妙に青春くさくなってしまう、そんなあらしみたいな5人の人生を。もう一度動かしたのはあらしに違いなくて、それがわたしはうれしくてうれしくて仕方なかった。そうして動きだした5人を、あのころと同じように受け止めて一緒に楽しんでくれる人たちがいたことも含めて。


そんな思いで迎えたエンドロール。あのころと同じがむしゃらすぎる歌に乗せて、あのころと同じように一列に歩いている5人がいた。でもひとつだけ違うことがあって。それは、あのころ乗り越えようとしていた壁をいまの5人は軽々と飛び越えて、また新しい壁を越えようとしていたところ。ああ、この人たち、まだまだ夢見る気満々なんだなあって。夢に向かって5人でひたすら歩いていく、がむしゃらな青春送る気満々なんだなあって。不器用だけどひたむきに生活を送る5人と、同じように時を経て成長したあらしの姿が、重なって仕方なかった。でもそれって間違ってないんだろうなあって。30過ぎたって、周りに愛され、何よりじぶんたちのことをじぶんたちが一番愛している、ふつうだけどふつうじゃない5人が送る人生をずっと見ていたいと心底思ったよ。きみたちが見る夢を、5人が並ぶちょっと横から一緒に見させてね。こんな思いにさせてくれる映画、15周年のタイミングで見られてよかったなあ。見た後も、やっぱりただただうれしかった。




ぴかんちはーふを見たその日の夜。ぴかだぶを聞きながら、いろんなことを考えてた。「あらしは青春」だと言って、降りていく人たちがいる。永遠に好きだなんて言い切れる年齢は、わたしもとっくに過ぎていた。でもこのときぴかだぶを聞いて、強がることなく思ったんだ。「ああきっと、わたしはずっとずっとこの人たちのことが好きだ」って。だって、あらしはわたしの夢だから。わたしがただ生きていくだけじゃ見られないものも、この人たちならきっと見せてくれる。そうずっと前に確信して、わたしが夢を託したのがあらしだったから。そんなことを考えていたら、ぴかだぶのあとふいにスケッチが流れてきて。イントロの優しいギター音が耳に入った瞬間、泣いた。ひさしぶりに、スケッチを聞いてどうしようもなく泣いた。聞いてるあなたを含む、同志。同じ夢を見る、同志。夢を現実にするために、共に闘い抜く同志。そんなことを言われたら、永遠なんていう現実味のない言葉を本気で信じてみたくなるじゃんか。それが彼らの道しるべになるのなら、ずっとずっと好きだって夢を見続けるしかないじゃんか。あらしにとってもそうであるように。わたしにとっての青春は、過去なんかじゃない。あらしは、わたしの青春だよ。だからこそ、あしたもあさっても、ずっとずっと大好き。いつもありがとう、これからもよろしくね。

*1:ニュアンスです